華琉(ケル)の犬生活♪

長男:華琉(ける)、長女:ソフィア、
次男:潤琉(おる)、次女:璃琉(りる)の記録。
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けるのいぬせいかつ けるのせいちょうきろく 華琉の闘病生活 肥満細胞腫

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1ヶ月前の2018年4月27日、午前1時25分…。
華琉は旅立ちました。

2017年3月1日に肥満細胞種グレード靴反巴任気譟⇒眛に緊急手術。
病理検査の結果、既にリンパ節転移していたため、余命は長くて3ヶ月と言われていました。(というか、一般的な余命)

術後間もなく、抗癌剤【ビンブラスチン】を毎週のように投与しました。
その甲斐あって、その後の経過は良く、余命と言われた3ヶ月が経った6月中旬には、寛解とも言える状態にまで回復しました。





しかし、8月末に再燃。
再び華琉の身体を蝕みだした癌細胞。
【ビンブラスチン】と併用して分子標的薬【イマチニブ】の投薬治療が始まりました。

ただし、イマチニブが効果を発揮してくれる期間は3ヶ月。
それ以降は、抗体が生成され、効果が期待できないとされています。

しかし、華琉には合っていたようで、効果か長く続いてしましたが、12月中頃、下腹部に大きな腫れか見られました。

診察の結果は案の定、イマチニブの効果切れによる患部肥大でした。
それはあまりにも大きく、手術を提案されました。



【断脚】という形で。




ですが、それは断りました。

奇跡的に生きながらえているけれど、その肥大さを目の当たりにして、華琉の最期はそう遠くないと思わされたことで、『最期まで自分の脚で歩かせてやりたい』という願いが大きく、主治医もそれを尊重してくれました。

そして、12月中頃より抗癌剤【ロムスチン】、年明けの1月から分子標的薬【パラディア】の投与が始まりました。

ロムスチンの効果は強力で、骨髄抑制による体調のアップダウンが激しく、体調管理が必須でした。
それからは、骨髄抑制の影響で下痢が止まらくなり、見るからに倦怠感があるような顔つきでした。
私たちは見守ることしかできませんでした。

3月半ばになり、華琉の身体に目に見える異変が起こり始めました。

特に食事を拒むようになり、鼻から胃へ直結するカテーテルを挿入することになりました。
極力は、経口摂取させ、どうしても拒むようであれば、カテーテルで強制摂取させる。
栄養補助食をフードプロセッサーでペーストにし、カテーテルに流すために、さらに茶こしを通して滑らかにする必要がありました。

4月初旬、なんとなく具合が悪そうだなと思って入院させましたが、その際、主治医に『ゴールデンウイークまで保つかどうか…』と言われました。

主治医の言った通りなのか、その日あたりから華琉は崖を転げ落ちるように弱っていき、介助なしではトイレはおろか、立つこともできなくなっていきました。

そして、4月25日の夜に突然の嘔吐。
その際に吐瀉物に紛れ、体内に挿入されていたカテーテルが口から出てしまいました。

直後に病院に電話すると、すぐに連れてきてくれ。と。
そのまま、入院をさせました。
そして、翌日26日に病院へ行き、華琉と面会。
ケージの中で伏せていた華琉は、私たちの顔を見るなり、微笑みをくれました。

主治医からは退院してよいと言われたのですが、ゴールデンウイークまであと1日平日があるので、何かあるといけないから、もう1日預かってくれないか、というお願いをし、それを受け入れてくれました。

そして、その夜、4月27日。
深夜0時30頃に病院から電話。

『華琉君、危篤です。』

昼間は元気そうだったのになぜ…。

我が家は車がないので、深夜でタクシーもないだろうという配慮から、主治医が車で迎えに来てくれました。

その車に乗り込み病院へ。

病院の検査室に駆け込み、そこにあった華琉の姿をみて私は『もう、だめだ』と瞬時に把握しました。

検査台に横たわる華琉は、荒い息遣いで、目は一点を見つめるように完全に見開いており、呼吸するのがやっとのように見えました。
声をかけても全く反応を示しませんでした。

主治医からは『もう、残された時間はありません、お家につれて帰りますか?』という問いかけに「はい」と答えると、『では、付けなおした鼻のカテーテルを取りますから、待合室でお待ちください。』と促され、待合室に。

しかしその約5分後、大声で私たちを呼ぶ主治医の声。
私たちは再び検査室に飛び込むと、華琉は先ほどよりも激しい息遣いになっていました。

本当なら、大声で名前を叫び、目の前にいる消えゆく命に対する抗いで、何度も呼びかけたりするのでしょう。
ですが、私は華琉の体を優しくさすりながら言いました。
「華琉…これまでよく頑張ったね…。ありがとう。でも、もう、頑張らなくていいよ…。」と。

この言葉の直後、華琉は、2回大きく息をし、その呼吸を止めました。
まるで、私たちに「ありがとう、さようなら」と言ったかのようでした。






華琉を迎えてから11年と10か月弱。
華琉の存在は、私に大きな変化をもたらしました。

華琉を守るため、音楽とバイト生活をやめ、就職をしました。

華琉はパピーのころから運がよくて、それは私にも流れ込んでいました。
華琉と出会わなければ、私はたぶん今でもクズのような存在だったでしょう。

私の実子ではないけれど、確かに華琉は私の息子で、大切な友人で、最もなくしたくない存在でした。
それは、華琉がいなくなった今も変わりありません。

もう、華琉の姿はないけれど、私は華琉をこれからも愛し続けていきます。
潤琉や璃琉もいるけれど、私にとって華琉は初めて迎えた大切な子。




幸せをありがとう、華琉…。



私と出会ってくれて、そして、そばにいてくれてありがとう…。
華琉と過ごした日々は、私の最大の宝物です。


本当に、ありがとうね。


また来世で一緒になろうね!
それまでしばらく、お休みなさい…。










肥満細胞腫は犬猫がかかる癌で最もポピュラーなもので、ポピュラーなのに発症したらすぐに亡くなるそうです。
そんななか、しかもグレート靴函∨期の状態だったにもかかわらず、華琉は1年以上を生きてきました。
私は、そんな華琉を、親として誇りに思います。

私も、華琉に負けぬよう、精いっぱい生き抜こうと思います。
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posted by 華琉   [華琉の闘病記録] || [comments(0)]
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